本尊八字文殊菩薩像
鎌倉時代 重要文化財
般若経を説いた智恵の菩薩。後醍醐天皇の御願仏として願主文観上人、仏師康俊・康成、施主藤原(伊賀)兼光らによって造顕される。もと経堂の秘仏であったが、現本堂再建と同時に御開帳された。
不動明王坐像
江戸時代
右手に剣を握り、左手に索を執り、火焔光背を負い、須弥壇に近い形式につくられた瑟々座(しつしつざ)に坐した姿である。 内に慈悲を秘め、外に忿怒の相を示し悪に対する怒りと力強い仏の救いを表現している。
興正菩薩 叡尊上人
平成の模刻
真言律宗の宗祖。鎌倉期の僧。興福寺の学侶の子として大和国に生まれる。1217年(建保5年)17歳の時、醍醐寺で出家する。1234年(文暦元)真言密教の行者が多く魔道に堕ちていることに疑問を抱き戒律の復興を志す。1236年(嘉禎2年)に東大寺法華堂で唐招提寺の覚盛らと共に自誓受戒をし比丘となる。戒律の普及に努めるとともに、弱者救済にも尽力した。
楼門
鎌倉時代 国宝
真言律の宗祖、叡尊上人らによる鎌倉時代再興伽藍(文永4年)の廻廊の西門であった。正門は南大門で中大門であったが戦国の兵火で失われ、寺中を貫く京街道に面した楼門のみが守られた。建築様式は和洋様に天竺様(大仏様・だいぶつよう)が取り入れられ美しく軽快な屋根の反りを見せる。楼門遺構は日本最古の作例である。近年は老朽化しており早期修繕がが望まれる為、勧進をしている。
十三重石宝塔
鎌倉時代 重要文化財
聖武天皇御創建を伝えるが、現在の塔は観良房良恵上人が勧進し宋人も伊行末(いぎょうまつ)、息子伊行吉(いぎょうきち)らの手で建長5年(1253年)に創建された。塔には顕教四方仏が掘られている。昭和39年に解体修理され、その際に塔内より多数の納入宝物が発見された。聖武天皇所縁の金銅製阿弥陀如来立像も発見され、現在は秘仏特別公開期間のみ公開される。同時に塔内納入宝物も公開される。
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笠塔婆
鎌倉時代 重要文化財
石塔を創建した宋人石工伊行吉(いぎょうきち)が弘長元年(1261年)に父伊行末(いぎょうまつ)の壱週忌にあたり、父母の供養の為に建立された。鎌倉期の東大寺再建に携わった伊行末の事績が知られる貴重な史料でもある。